日本におけるペンキ塗りの起源

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前回、また別のお話として続話になってしまったお話

「ペンキ」に関して日本の始まりを調べてみました。

皆さん良く知るペリーによる「黒船」来訪の翌年、もう一度ペリーさん

来訪にあたり、当初徳川幕府は前年と同じ浦賀を予測していたところ

、アメリカ側の回答は、江戸にほど近い横浜村沖を指定してきた。

そこで幕府は交易談判所を急遽建設することになった。

当時の普請奉行は、本建築に輪換の美を添えようと外壁・内壁・その他に

「ペンキ」塗りにて新しい様相を試みようと考えた。

さて、では誰に任命しよう!当時江戸では、漆塗り、渋塗りの各職人がおり、

その中から渋塗り職人の「町田辰五郎」が工事一式を施工せよと命じられた。

友人、知人を使い、試練を練っていろいろと調合を繰り返し試作をねったが、

色合いなど、うまくいかず、最終手段としてペリーの側近の「コンテエ」なる人物に

お願いをし、横浜村本牧鼻に停泊中の「アンダリア号」に出向き、「ペンキ」及び

油を得て、外人職工に伝授も受け、それを持ち帰り施工にあたったそうです。

この話を総合して考えると、日本で最初に「ペンキ」なるものを調合し色をつくり、

最初に建物の外壁に塗った人は「町田辰五郎」となるようです。

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